ヒバゴンの正体には3説ある!その後はどうなったかも検証

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日本にもかつて、ヒマラヤのイエティ、アメリカのビッグフットのような獣人がいました。

 

それが「ヒバゴン」です。

 

年配者なら「あ~、そんなのいたな~」

と、懐かしのスターのように思い出すんじゃありませんか?

 

 

ヒバゴンとは昭和40年代

広島県比婆郡(現・庄原市)をうろついた未確認動物(UMA)で、

当地では今も愛されキャラ。

 

全身毛むくじゃらの、ゴリラのような生物でした。

 

世界的なイエティやビッグフットに比べると、

いぶんスケールの小さいUMAなのですが、未知の動物というだけでなく、

その時代を反映した『現象』と捉えることもできる、社会学性動物でもあるのです。

 

 

ヒバゴンとは何だったのか?

 

ヒバゴンはどうして生まれたのか?

 

今回は、皆さんを昭和の時代に誘(いざな)いますよ!

 

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ヒバゴンって何?本当にいるの?

 

広島県北部、島根との県境にそびえる比婆山は、神話の伝説も残る名山です。

 

この神聖で静かな山地で、

昭和45年(1970年)から、怪物が住民にたびたび目撃されるようになったのです。

 

 

その怪物の特徴は――

・身長160cmくらい全身が黒or濃茶の毛に覆われている

頭は大きく、形は逆三角形

つり上がった、大きなギョロ目

サルのタコ(毛のない尻の部分)がない

二足歩行。足跡のサイズは27cm

 

それは、世界的なUMAスター雪男を彷彿とさせるものだったのです。

 

怪物はいつしか、比婆山(ひばやま)の怪物ということから「ヒバゴン」と命名され、

マスコミの注目を集めるようになります。

 

その頃、当時はUMAなんて呼び方はありませんでしたが、

ヒバゴンは、マスコミの恰好のネタだったんです。

 

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時代背景

 

ところで、

皆さんは昭和40年代にどんなイメージをお持ちでしょうか?

 

『ちびまる子ちゃん』の時代ですよ。

 

昭和39年の東京五輪で、戦争の痛手はほぼ消えて、

高度経済成長期に突き進んでいた日本。

 

 

一方で、3億円事件、安田講堂事件、

よど号ハイジャックにあさま山荘事件など、闇の濃い時代でもありました。

 

発展に伴って、人心がささくれ立って、どんよりとした閉塞感もあったんです。

 

 

僕個人の意見ですが、こういう時代には、

逆に現実から乖離した、スピリチュアルな方向に行っちゃう傾向があると思うんです。

(新興宗教とか)

 

昭和40年代も心霊現象、UFO、未知への探求、そしてUMAが大ブーム。

 

 

『あなたの知らない世界』や、

『矢追純一スペシャル』や『川口浩探検隊』を、

ワクワクしながら見ていた人も多いはず!

 

ネッシー、雪男、ツチノコ、

屈斜路湖のクッシーに池田湖のイッシーなどが、

周知されたのもこの頃です。

 

 

ヒバゴンもそんな時代に登場したUMAのひとつでした。

 

「日本にも雪男が!?」

 

ネットが当たり前の若い世代には、馬鹿げた騒動に思われるかもしれません。

 

 

でもその時代、世界はずっとずっと広く、

情報のない未知のエリアはどこにでもありました。

 

比婆山地も、ヒマラヤの奥地くらいの感覚だったんですよ。

 

 

テレビや週刊誌にも、たびたび取り上げられるようになったヒバゴン。

 

昭和49年には、

ヒバゴンらしき生物の写真が撮影され、

ヒバゴンフィーバーは頂点に。

 

しかし、その年の10月に目撃された後、姿を消してしまったのです。

 

 

ヒバゴンとその時代背景がなんとなく理解できたでしょうか?

 

次項ではそれらを踏まえ、ヒバゴンの正体を考えてみましょう。

 

 

正体は?

 

ヒバゴンの正体について、大きく分けると3つの説があります。

 

 

①未知動物説

 

ヒバゴンが新種の類人猿

原始人の生き残りなどという説です。

 

目撃情報を見ると、猿人であることは間違いないようです。

 

 

しかし、新種がどうして比婆山に(おそらく)一頭だけなのか疑問が残ります。

 

宇宙人が一頭だけ捨てていった、

エイリアンアニマルという意見もありますが……

 

ちょっと眉唾ですかね?

 

 

②誤認説

 

ニホンザルやクマを見間違ったという説。

 

例の写真も、研究者によるとクマの可能性が高いらしいです。

 

 

でも、クマは大きなギョロ目ではないし、

ニホンザルは160cmもありません。

 

また、これらの動物は、現地の住民にとっても珍しいものではなく、

見間違いで片づけるのもどうかと。

 

戦後に動物園から逃げたゴリラやオランウータンが、

比婆山で生き残っていたという説もあります。

 

 

③人為・人間説

 

ぶっちゃけて言うとヤラセです。

 

町が話題作りをした、あるいはヒバゴンの噂があって、それに便乗したのではないか。

 

マスコミがでっち上げたニュースという場合もあるでしょう。

 

 

別に、誰かが騒動になるように仕掛けたイタズラとも考えられます。

 

面白い説として、

「山に住んでいた人間を怪物と間違った」という意見もあります。

 

 

例えばサンカ。

 

サンカは山から山を放浪生活する、戸籍を持たない人たちのことで、

昭和30年代まで存在していました。

 

昭和40年代に少数残っていたとしても不思議はありません。

 

 

さらにこの時代、犯罪者やテロリストが山奥に隠れることも少なくなかったのです。

 

グーグルアースの時代には考えられない大らかさですよ。

 

 

そういった人間が人里に侵入して、怪物に思われた。

 

これらは、誤認説にも当てはまりますね。

 

 

ヒバゴンはいくつかの目撃談と、はっきりしない写真

確証のない足跡や体毛の記録があるだけで、

正体については、「これだ!」というものがありません。

 

しかも、活動期間が短い!

 

 

ぼんやりした印象だけを残し、すっかり忘れられてしまいました。

 

ヒバゴンはその後どうなったんでしょうか?

 

 

どこに行ったのか?

 

正体不明のヒバゴンですから、その後についてもわかりません。

 

しかし、正体の候補から後日を推測することはできます。

 

 

ひとつは死亡した」か「移動した」。

 

ヒバゴンが未確認生物であれ、人間を含めた既存の動物の誤認であれ、

寿命が尽きて死骸が見つからなければヒバゴンは消えてしまいます。

 

当然、移動しても目撃は途絶えるでしょう。

 

 

移動説には興味深い話もあります。

 

ヒバゴンが消えてから間もなく、比婆山にも近い同県の、

山野町(現・福山市)、久井町(現・三原市)で、

ヒバゴンのような獣人が目撃されているのです。

 

それぞれの町名から、

「ヤマゴン」「クイゴン」と名付けられました。

(ここら辺はヒバゴンと同じノリなんだな)

 

 

これがヒバゴンであれば、騒々しい比婆から静かな場所へ移ったとも考えられます。

 

移動説の裏付けになるかもしれません。

(その後は死亡か?)

 

 

もうひとつは、単にブームが終わったという説です。

 

ヒバゴンがUMAブームに乗っかって、実在したかどうかはともかく、

マスコミネタにされた後、飽きられてしまった。

 

 

目撃も途絶え、不鮮明な写真が一枚撮られただけで、

新事実発見のようなテコ入れもないのですから、打ち切りも仕方ない。

 

みんなの興味も薄れ、

思い出の中の存在になってしまった……という流れ。

 

つまり、今となっては実在したかどうかも確認しようもないのです。

 

 

ヒバゴンって、いったい何だったんでしょうかね?

 

 

検証

 

当時は、

「ディスカバー・ジャパン」のキャッチフレーズが叫ばれ、

経済的に余裕のできた中流層が、

「知らない場所を見に行こう」と国内旅行をする、空前の旅ブームだったのです。

 

そんな時代に、日本各地でUMAが話題になりました。

 

それらは噂だったり、伝説だったりの下地があり、

情報化の進歩によって広く知られると、旅行者を呼ぶための宣伝にも利用されたでしょう。

 

 

僕は、比婆地方に何かはいたのだと思います。

 

それが未知の生物か、変わったサルか、山に隠棲する人間かはわかりません。

 

その生物がヒバゴンという事象となり、

現在の、地方自治体のゆるキャラと同じ役割を与えられたと考えています。

 

 

でも、ヒバゴンはまったく消えてしまったわけでもないんですよ!

 

 

ヒバゴンの残したもの

 

21世紀の今でも、

僕らは各分野にヒバゴンの影響を見ることができます。

 

広島県では『ヒバゴンのたまご』というお菓子をちゃっかりとお土産にしています。

(ヒバゴンは卵を産まない哺乳類だと思うんだけど)

 

 

作家の重松清氏は、ヒバゴン騒動をモチーフにして、

『愛しのヒナゴン』という小説を書き、

映画化もされました。

 

 

余談ですが、

平成になって岩手県山形村(現・久慈市)で不思議な足跡が見つかり、

「ガタゴン」と相変わらず進歩のない名前をつけられ、

現在もガタゴン祭りというイベントがあります。

 

ガタゴンはヒバゴンとは別物でしょうが、

これもヒバゴンに倣っているのは間違いないでしょう。

 

それだけヒバゴンは、

昭和を知る世代には忘れられない『存在』であり『現象』だったのです。

 

 

同時にヒバゴンは、

「昔は夢がいっぱいあったなぁ」という、

ノスタルジーの『象徴』でもあります。

 

誰にでも、隣町さえ未知の世界に見えた子供時代がありますよね?

 

成長するにつれ、世界のすべてを知っているような気がしてしまう。

 

 

ヒバゴンが消えた現在は、日本がそれだけ大人の国になったということかもしれません。

 

それが、大切な何かを失っていることでなければいいのですが……

 

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ヒバゴンの正体とその後~まとめ~

 

僕はヒバゴンを考えるには、

その時代が重要なキーワードだと考えています。

 

なので、生物としてのヒバゴンと、昭和40年代の世相を並行して綴ってきたつもりです。

 

 

本来ヒバゴンは、ローカルな話題に過ぎなかったのですが、

良くも悪くもこの寛容な昭和40年代に、

ネッシーやツチノコと一緒に祭り上げられた感があります。

 

でも、当時はみんな斜に構えず、純朴にも受け入れてしまったんですね。

 

だから思い入れが強い。

 

 

ヒバゴンが現在に現れても、

批判や嘲笑のツイートに晒されるだけでしょう。

 

ヒバゴンは昭和にいたからこそ、幸福だったと思うのです。

 

 

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