あなたは森の王に遭遇したことがありますか?
深い森の奥に、湿った蹄の音が響く。
一歩。
そして、また一歩。
やがて月の光を浴びて、巨大な姿が浮かび上がる。
思わず息を飲む。
あれは………シシ神だ!
でも、おかしいな。
顔が妙に長い。
角も横に広がって、ショベルカーのショベルが2つ付いているみたい。
何だろう、あれ?
ヘラジカは巨大な森の王
もし、あなたがカナダやラップランドの森にいるなら、
それはヘラジカです。
ヘラジカとは、北米大陸とユーラシア大陸の北部に住む、
世界最大のシカのこと。
もしかしたら、シシ神様より大きいかもしれません。
シシ神様は日本の森の神様ですが、ヘラジカは北の森の王様です。
英語では、
ヨーロッパでエルク、
北アメリカでムース、
と呼ばれています。
呼び名が違うのは、
ヨーロッパ人の探検家がアメリカに渡った時、
巨大なアメリカアカシカに驚いて、エルクという名前を付けてしまったのがきっかけです。
まあ、その言い訳としては、
「ヨーロッパに生息するアカシカよりもアメリカアカシカはデカかった」
「だからヘラジカと勘違いした」
というのが言い分らしいです。
確かにアメリカアカシカは、ヘラジカに次ぐ大きい鹿のようですが。
でもこれだけでは、なぜ北米ではムースと呼んでるのかが説明不足ですよね。
それには、おそらくこんな事情があったんではないでしょうか?
少し時を進めて、ユーラシア大陸に舞台を移しましょう。
アメリカだけじゃなく、
ユーラシア大陸にもヘラジカは生息しています。
それで現地の人はですよ。
このユーラシア大陸に生息するヘラジカをなんて呼んでる思いますか?
なんと「エルク」って呼んでるんですね。
アメリカに生息するアメリカアカシカにも、
「エルク」って呼び名を付けちゃってるのに。
昔に来たヨーロッパ人の探検家の勘違いなんだけどね。
でも、こうなってしまうと困る人達がいますよね。
誰でしょう?
それはアメリカの人達です。
だって、昔っからアメリカアカシカのことを、
「エルク」って呼んでるんだから。
「昔来たヨーロッパ人がそう命名したんじゃないか!」
「じゃあ、アメリカに生息するヘラジカはなんて呼べばいいの?」
とアメリカの人達が思うのは当然だし、
必然と生まれる問題でもあります。
そこで、アメリカではこう呼ぶことにしたんではないでしょうか。
まず、ヘラジカには「ムース」という新しい呼び名を付けた。
そしてアメリカアカシカには、そのまま変えずに「エルク」と呼ぶことにした。
ちなみに、アメリカアカシカはワピチとも呼ぶようで、
ワピチとはインディアンの言葉で「白い尻」だそうです。
ということなんですけど、まどろっこしい歴史のお話しでしたね。
理解して頂けたでしょうか?
それで、そのヘラジカなんですが・・・
ヘラジカの特徴は、何と言ってもその大きさでしょう。
下に貼った動画は、比較対象があって分かり易いです。
どれくらいデカいのかというと、
シカの仲間で2番目に大きいワピチの、
さらに2~3倍の大きさ。
ヘラジカのオスは、
大きなもので体長3メートル、
肩までの高さ2メートル、体重は800キロ。
サラブレッドくらいの大きさです。
そしてその角。
オスには、和名の元になった、ヘラ状の巨大な角があるので、
それはもう大迫力です。
この角は、年を取るほど大きく広がっていき、
幅2メートルほどになることも。
その角が、パラボラアンテナになって遠くの音を集めるので、
発情期のオスは森の誰より耳が良いんです。
王様はきっと何でも知っているんでしょうね。
でも、いくら耳が良くて身体が大きくても、無敵ではありません。
王様とは言え、天敵はつきものです。
王の天敵は?
ヘラジカの天敵は、ヒグマやオオカミ、
あるいはヒョウやピューマ、
ヤマネコなどの野生ネコです。
この中で特に油断ならないのは、冬に大きな群れを作るオオカミでしょう。
単独行動を好むクマやネコ族は、長距離を追いかけるのが苦手ですから、
振り切ってしまえばそれで終わりです。
でも、群れを作るオオカミだけは、どこまでも追いかけて来ます。
子供や弱った個体だけでなく、
群れなら大人のオスでも襲えるので、
ヘラジカにとってはかなり厄介な存在です。
オオカミは、狙いをつけると獲物を追い回し、
獲物が立ち止まれば、取り囲んでちょっかいを出して疲れさせ、
飛びかかれるチャンスを、何日でも待つのです。
追われる立場からすれば、本当にやな奴なのです。
あぁ、でも群れでしつこく追い回す、嫌な生き物がもう一種類いましたね。
ヒトです。
ホモサピエンス・サピエンス(現生人類)は数万年前から、
ホモサピエンス・ネアンデルターレンシス
(ネアンデルタール人)として、
数十万年前からヨーロッパにいましたから、
旧大陸では、ヒトも天敵のひとつだったでしょう。
実際、猟をしていた跡が、あちこちで見つかるそうです。
もちろん、食べた痕跡も。
あと、もう一つ!
ヘラジカのオスには意外な敵がいます。
自分自身の立派な角です。
シートン動物誌からネットの世界まで、ヘラジカのオス同士が争って、
角が絡まり共倒れになった、という噂が絶えません。
絡まったまま弱って、クマやオオカミに食べられていたとか、
絡まったまま氷の湖に落ち、
角だけ出して凍り付いていたなど、
不名誉な証拠が色々挙がっています。
ライバルとの戦いに敗れるのならともかく、ずいぶん悲しい話です。
ただ、人間に対してだけですが、
無敵のヘラジカがいます。
ヘラジカ狩りに来た人間を、見ただけでたじろがせるヘラジカ。
それが、全身真っ白なヘラジカです。
アルビノじゃない白い個体
白い動物を見ると、神々しさを感じるのは日本人だけではないようですね。
西欧諸国の人たちも、
白いヘラジカを見るとテンションが上がるようで、
せっかくシカ狩りに来たのに、そのまま見送ることがよくあるそうです。
結果的に人為的な淘汰が働き、
白い個体が増えているのではないかと言われています。
それだけ目撃情報が増えているということですね。
ヘラジカの白は、色素を持たないアルビノではなく
(もちろんアルビノもいるでしょうが)
本当に、白い体毛を持っているのだそうです。
シカの角は毎年落ち、また最初から生えて直すのですが、
成長過程ではまだ角が毛に覆われています。
ですから、白い大人のオスであれば、
身体から角の先まで本当に真っ白です。
もし、森の中でそんな生き物に出会ったら!
考えただけでも、ぞくぞくしてきますね。
それでもやっぱり、白はレアケース。
でも、生息している地域の町中では、たまに白の親子に会えるくらいですから、
普通のヘラジカなら、しょっちゅう遭遇できるようですよ。
ヘラジカと暮らす
ヘラジカと隣り合って暮らすというのは、どういうことだと思いますか?
それは例えば、大通りでウィンドウショッピングをしている、
立派な角のヘラジカと遭遇するということ。
あるいは、スプリンクラーが楽しくてしようがないヘラジカの双子に、
自宅の庭を占領されてしまうこと。
ヘラジカと車で併走したり、逆に追いかけられたりする道があって、
ヘラジカが銀行に強盗に入ったり、留守の間に空き巣に入られたりすること。
リンゴの収穫期、天然のリンゴ酒でベロベロに酔っ払ったヘラジカが、
道端に横たわり、くだを巻くのに出くわすこと。
しかもそれが風物誌になっているとの事。
リンゴを摘まみ食いしに来たヘラジカが、
熟しすぎて自然発酵したリンゴに当たって酔っ払ってしまうのです。
そしていつでも、牧場で馴れたヘラジカと遊ぶことができ、
ついでには、
隣のレストランでヘラジカのステーキを心ゆくまで堪能できること。
何だか楽しそうですよね。
森の奥にいるはずの王様は、案外気さくでお茶目な面を持っているようです。
神秘の森の王ヘラジカ~まとめ~
森の王様は、頭数制限も兼ねてジビエにされることもあるようですが、
ヘラジカのいる国は、どこもヘラジカを大切にしています。
でも、数を増やしている地域もあれば、姿を見せなくなった地域もあります。
例えば、イギリスにも、かつてはヘラジカがいたのだそうです。
イギリスのような小さな国にいたのなら、日本にもいて欲しかった…。
もし、北海道の森の神様がヘラジカだったら、
シシ神様の姿は、もう少し違うものになっていたかもしれません。
残念ながら、現在日本の動物園にヘラジカはいません。
検疫の関係とかで、ヘラジカを輸入することができないのだそうです。
本当に残念です。
森の王様、会ってみたいですね。