ヴォイテク伍長の物語!英雄となった熊の兵隊

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昔から人間は、戦争に動物を利用してきました。

 

 

武将が乗ったり、戦車を引かせる馬。

 

爆弾を装着され、敵陣で自爆させられる動物や鳥。

 

現在なら生物兵器に使われる菌類も、そのうちに入るでしょうか。

 

 

「人の身勝手な戦いに駆り出され、犠牲になったかわいそうな動物たち」

 

そんな印象が強いんじゃありませんか?

 

 

第二次大戦中、ポーランドの軍に一頭の熊がいました。

 

「ヴォイテク:Voytek」

と名付けられたシリアヒグマです。

 

彼もまた参戦させられた動物。

 

 

どれほど悲しい生涯だったのか……。

……と思ったら、

ヴォイテクの話はとってもほのぼの系。

 

戦時の微笑ましい逸話として語り継がれているのです。

 

 

でも晩年には悲しいことも……。

 

ヴォイテクの歩んだ数奇な人生(熊生?)を紹介しますよ!

 

 

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ヴォイテクとポーランド軍の出会い

 

1942年。

ポーランドの軍隊と難民が、イランにいました。

 

時は第二次世界大戦のさなか。

ドイツとソ連が手を組み、ポーランドは挟み撃ちにされ壊滅。

 

その後、独ソ(ドイツとソ連)が敵対することで解放された戦争捕虜の一団です。

 

 

遠い故郷を離れ、イランに在住するポーランドの人々。

 

そこで、イランの子供に捕まったシリアヒグマと出会います。

 

 

クマは生後3か月ほど。

難民は、肉と缶詰を子グマと交換し、育てることにしたのです。

 

つらい難民生活の慰めにしたかったのかもしれませんね。

 

 

しかし、衝動買いしたペットが、後で重荷になるのはよくあること。

 

子グマは、

近くのポーランド陸軍・第22弾薬補給中隊に渡され、

「ヴォイテク」と名前をつけられます。

 

 

ヴォイテクというのは、

「戦を楽しむ」

「微笑む戦士」

という意味。

 

アクション映画の主人公かよっ!

とツッコまれそうなネーミングなのは、やっぱり軍隊だからでしょうか?

 

 

軍内でもヴォイテクは可愛がられます。

 

大戦中の暗い時代。

兵士にとって無垢な動物は、現実を忘れる癒しだったようです。

 

 

ヴォイテクも兵士によく懐きました。

 

いや、懐きすぎたと言ったほうが正しいかも。

 

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人真似をする熊だった

 

ヴォイテクは、飲み込みが下手で、

最初は、ウォッカのボトルに入れた、

コンデンスミルクを飲まされていました。

 

後に、果物やはちみつも食べるようになったのですが、

ウォッカ混じりのミルクが悪かったらしい。

 

長じて、ヴォイテクは大変な酒好きになります。

 

 

好物はビール。

 

また、兵士を真似てモーニングコーヒーを飲むわ、タバコを吸うわ、

オッさんみたいな趣味になっちゃった。

 

 

ヴォイテクは人間が好きだったのです。

 

いや、自分を人間だと思っていたと言ってもいい。

 

タバコも、吸うというより食べることが多かったんですが、

火のついたタバコにしか興味がない。

 

火のついたタバコをくわえる兵士に、自分もなりたかったのでしょう。

 

 

人真似レパートリーは、他にもありますよ。

・寝床を作ってやっても、兵士の寝室に押しかける。

・兵士の行進には、立ち上がってついてくる。

・人間とのレスリングに興じる。

・蛇口をひねってシャワーを浴びる。
(でも水は出しっぱ)

・敬礼することも覚える。

 

 

ちゃんと、映像としても残っています。

レスリングしている風景が撮られたものです。

 

 

軍と行動しているうちに、見よう見真似で軍人らしくなっていった。

 

真似する動物ってなんか愛しいですよねー。

 

ヴォイテクはマスコットとなっていました。

 

 

そして、ついには正式に軍に配属されるのです。

 

 

ヴォイテク伍長の誕生

 

1944年。

ポーランド軍は、中枢国ドイツ・イタリアを倒すために、連合軍に出征(加わる)

 

「ヴォイテクも一緒に」

と思ったら、輸送船は動物を乗せられない決まりが。

 

 

そこで、司令官は一計を案じ、

ヴォイテクに「伍長」の階級と、軍籍番号、

軍隊手帳を与えます。

 

民間兵として、第22弾薬補給中隊所属となるのです。

 

「これは熊じゃない」

「正式な軍人ヴォイテク伍長なので船にも乗れるでしょ」

 

一休さんのトンチみたいな手段で、局面を乗り越えようとしたのです。

 

 

ナポリの港で出迎えた英国(イギリス)の役人が、確認のため点呼をすると、

ヴォイテク伍長が返事をしない。

 

「ヴォイテク伍長はどこだ?」

「名簿に載っているのに」

 

「ここですよ(ニヤニヤ)」

と檻の中のヴォイテクを紹介し、

驚かせたエピソードが残っています。

 

 

でもヴォイテクは、ただの従軍ペットではありません。

 

戦場でちゃんと仕事をしています。

 

 

戦場のヴォイテク伍長

 

さて、枢軸国ドイツ・イタリアと、ヴォイテクのいる連合軍は、

ローマの南で激突。

 

10万人もの死傷者を出し、4ヶ月間にも及んだ、

モンテ・カッシーノの戦いの勃発です。

 

 

弾薬補給隊の仕事は、弾薬や食料の運搬。

 

兵士たちは、箱詰めの物資を輸送車にせっせと積み込むのに大忙し。

 

ヴォイテクが真似たのは言うまでもありません。

 

 

立ち上がって、両腕を前に出すヴォイテク。

 

「おっ、お前も運んでくれるのか?」

 

ふざけて空箱を渡すと、ちゃんと輸送車まで運んでくれる。

 

 

「これは使えるかも」

と重たい箱を渡すと、これは嫌がる。

 

けっこう怠け者だね。

 

 

それでも戦いが激化し、仕事も多くなってくる。

 

そんな兵士の緊張感が伝わったのかもしれません。

 

ヴォイテクの士気も上昇?

40kg以上もある箱を、ふらつきもせず運搬するようになりました。

 

 

この頃のヴォイテクは180cm。

100kgの体格。

 

パワーなら軍人にも負けません。

 

激戦の中、荷物を運ぶ熊ですよ。

味方の連合軍の面々も「そんなアホな!」。

 

すっかりヴォイテクは有名熊。

 

 

この働きにより、

第22弾薬補給中隊の公式の紋章は、

「熊が砲弾を運ぶ姿」になりました。

 

 

余談ですが、この紋章は

人気アニメ『ガールズ&パンツァー』でも、

オマージュされています。

 

ポーランドがモデルになった「ボンプル高校」の校章が「熊と砲弾」。

 

ヴォイテクの紋章がモチーフなのは間違いないでしょう。

 

 

こうして英雄となったヴォイテク伍長。

 

しかし終戦後、兵士たちとの悲しい別れが待っていました。

 

 

戦後に変わったヴォイテクの運命

 

戦争が終わり、

戦後処理のため、スコットランドに駐屯していた第22弾薬補給中隊。

 

そこでもヴォイテクは人気者でしたが、またしても問題が発生。

 

 

ポーランドに帰れなくなってしまった。

 

 

当時のポーランドはというと、

ドイツは撤退したんだけど、ソ連の支配下に置かれていたんですね。

 

ソ連が掲げる思想をそのままに、

一党独裁政権の、共産主義国となってしまっていた。

 

ポーランドから追放されたり、処刑されたりと、

なにかと制限の多い国となってしまっていたんです。

 

 

これじゃあ、

もうポーランドとは名ばかりのソ連。

 

連合軍に加わった、英米に味方したヴォイテクの中隊も敵と見なされていました。

 

 

祖国に帰るとしても、イギリスで新生活するにしても、熊とはいられない。

 

ヴォイテクのようなスターは、共産政権にとって、

危険な「自由の象徴」にもなりかねないから。

 

 

1947年。

結局、スコットランドのエジンバラ動物園にあずけることに。

 

※スコットランドもイギリスですよ。

 日本語って紛らわしいですよね。

 

 

別れの日、

鎖をはずした兵士の顔を舐め、

ヴォイテクは移動用の檻に自ら入ります。

 

悲し気な鳴き声をあげ、動物園へと送られたのです。

 

 

動物園での憂鬱な日々

 

動物園の暮らしは、ヴォイテクには向きませんでした。

 

 

彼の仲間とは人間であり、動物園の熊と一緒にいてもつまらない。

 

嬉しそうに振る舞うのは、戦友の兵士たちが、時々動物園を訪れたときだけ。

 

普段は、一頭だけで岩山にずっと座っているような孤独な毎日です。

 

 

時間がすぎ、訪れるポーランド兵も減ってゆきます。

 

 

「ポーランドが自由になったら一緒に帰ろう」

彼らは、ヴォイテクと帰国できることを最初は望んでいました。

 

しかし共産化が強まるにつれ、現実的に難しくなっていたのです。

 

事実、ポーランドの動物園への引っ越しの嘆願も却下されています。

 

 

ヴォイテクは、最後まで動物園には馴染めませんでした。

 

5年間の兵士時代が、彼のすべてだったんでしょう。

 

客がポーランド語を話したとき以外は、

ろくに反応もしなかったぐらい。

 

 

いつまでも「俺はポーランドの軍人だ」と信じていたのだと思います。

 

 

そして月日が流れ・・・

 

 

 

1963年12月、ヴォイテク永眠。

 

21年の生涯でした。

 

英雄を称えてるようなBGMと、写真集。

 

 

それから、30年ほど経った1989年。

 

ポーランドはやっと自由になりました。

 

現在ヴォイテクは、エジンバラ動物園と、

ポーランドのクラクフ市、ヨルダン公園に銅像が。

 

いくつかの戦争記念館でも、彫刻などを見ることができます。

 

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クマの兵隊!英雄ヴォイテクの物語~まとめ~

 

戦争は悲惨なことが多いですが、ヴォイテクのような逸話も生まれます。

 

 

ヴォイテクの親も戦乱で失われたと思われ、

彼自身も戦争孤児だったらしい。

 

その後、人間と行動し、部隊の環境に馴染んだ。

 

兵士と同じことをして遊んでいたら、伍長になった。

 

 

そういう意味では、戦争に巻き込まれた被害動物なわけですが、

戦争の時代こそが、ヴォイテクの勲章だったのでしょう。

 

動物園時代は堪えられなかったんでしょうね。

 

人間の退役軍人も、どこか平和な世界がつまらなそうですし。

 

 

史上唯一の兵隊熊として記録に残るだけです。

 

 

ヴォイテクは幸せだったのか?

不幸だったのか?

 

あなたはどう思われますか?

 

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