「動物が好き」と言う人は、どこか自分が優しい人間だと、
遠回しにアピールしているような所が多分にあるものですが、
怖ろしい獣害事件を聞いても、そう言っていられるでしょうか?
動物といっても所詮はケダモノ…
世界で、いやこの日本でも、
動物たちはその牙と爪を、人間に向けているのです。
今回は、動物好きっ子さんも震撼させる、
世界三大獣害事件。
三大と言いつつ、僕が勝手に決めたインパクトの強い獣害事件を3つ紹介しています。
どれも有名な事件ですが、
改めてその恐怖を(できれば)追体験してほしいなんて思っています。
目次
三毛別ヒグマ事件
最初に紹介するのは、日本史上最悪といわれる、
三毛別ヒグマ事件です。
最初の襲撃
舞台は1915年(大正4年)、
北海道留萌地方の苫前村(現・苫前町)。
11月に巨大なヒグマの足跡が、三毛別集落で見つかります。
どうやら、巨躯のために冬ごもりの穴を見つけられず、
凶暴になっている「穴持たず」と呼ばれる大ヒグマがうろついているらしい。
ジワリと迫るような村人の不安が、
12月9日ついに現実となります。
三毛別川上流の、太田家に同居していた要吉が、昼食のために家に戻ると、
預かっていた6歳の幹夫がおり、
声を掛けても返事がないのを不審に思って見ると、
幹夫は喉をえぐられ、頭部に穴の開いた状態で死んでいたのです。
「ヒグマだ」と気づいた要吉は、
家にいた太田家の妻、マユがクマに連れ去られたことを知りました。
翌日、捜索隊がヒグマと遭遇するも逃げられ、
雪に埋まったマユの足と、頭部の一部を発見します。
その夜、マユと幹夫の通夜を行う太田家を、再びヒグマが襲撃。
マユの味を覚えたヒグマが、執拗に獲物を追ってきたのです!
なんとか犠牲者を出さずに、クマを撃退した遺族たちは、
500mほど下流の名景家への避難を決めます。
しかし、ヒグマもまた、
一足先に名景家のある場所へ移動していたのです。
名景家の惨劇
その頃名景家には身重(妊娠中)の女性や、7人の子供を含む10人がいたのですが、
獲物を目の前にして撃退された、気の立った巨大ヒグマが、壁を破って侵入。
パニックになった面々で、
囲炉裏の大鍋はひっくり返る、ランプも消える。
闇の中で恐怖の時間が始まります。
次々と襲われる子供たち・・・
身重の女性は「腹破らんでくれっ」
と懇願するも、クマが同情するわけもなく・・・
胎児とともに息絶えました。
隠れていた子供は、
ピチャピチャと、クマが人を食う音を聞きながら、次は自分だと怯えていたと言います。
さて、名景家に向かっていた人達も異変に気づきます。
「ヒグマを殺せ!」と銃を持って立ち向かうのですが、
家から聞こえるうめき声と、
漂う血の臭いにすっかり委縮して発砲もできず、
ここでも、ヒグマに逃げられてしまうのです。
巨大ヒグマVSマタギの一騎打ち
大事件に警察も腰を上げ、大規模なクマ狩り隊が結成されます。
ところが怪物グマも知恵があるのか、罠などでおびき寄せようとしても、上手くいきません。
そこへ最強の助っ人が現れます。
日露戦争の戦利品のライフルを愛用する、
伝説的なマタギ・山本兵吉です。
単独でクマ探しをする兵吉は、
ついに件の巨大ヒグマを見つけます。
自身も獣のように息を殺し、20mまでヒグマに接近して、
心臓を狙って発砲。
突然の攻撃に怒り向かってくるクマの頭に、
とどめの一発をくらわせました。
集まった人々が見たものは、
体長2.7m、重さ340kg、針のような体毛の、
これまで見たこともないような、
巨大ヒグマの死体だったと言います。
三毛別ヒグマ事件は、
7人死亡3人重症という惨事で、
「石狩沼田幌新事件」
「福岡大ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」と並び、
日本の三大ヒグマ獣害事件として知られています。
著者、木村盛武さんの「慟哭の谷」でノンフィクションで読めます!
伝説のマタギのかっこよさにシビれちゃいますが、
次は、獣そのものが伝説化してしまった事件です。
ジェヴォーダンの獣
オカルト色の強い「ジェヴォーダンの獣」は、世界一有名な獣害事件かもしれません。
犠牲者も60人~100人以上とまちまちで、謎が多いのも特徴です。
オオカミじゃない!
1764年、
フランス南部の山岳地帯ジェヴォーダンで、
14歳の少女が、内臓を食べられた遺体で発見されました。
その後、同一の獣の仕業と思われる凶行が加速を増して、続発するようになります。
当時ヨーロッパでは、
オオカミが人を襲うことは珍しくなかったのですが、連続して襲われるとなれば大事件です。
犠牲者のほとんどは20歳未満の女子供。
獣が、弱い人間を見定めて、襲撃していることが分かります。
貧しい田舎町の人々は身を寄せ合い、
この害獣に怯えながら暮らすことになるのですが、
気になることも……。
運よく獣から逃れた被害者は、
「あれはオオカミなんかじゃない!頭が大きく、子牛くらい大きな獣だ」
と証言しているのです。
「悪魔か」「いやワーウルフではないか」
と不安は募る一方。
正体不明の狂獣はベート(怪物)と呼ばれ、その噂は、パリにまで鳴り響くのです。
獣の最期
時の国王ルイ15世は、ベート討伐のために、
「竜騎兵」という、使い古されたような名前の、
軍を派遣しました。
名前負けの軍人が成果をあげられない中、
ある狩人が一頭の大オオカミを仕留めます。
体長1.7m、体高80cmのユーラシアオオカミでした。
「やっぱオオカミやんか」
「これで事件解決」
と胸をなでおろしたのも束の間。
その3ヶ月後、
ベートの襲撃がまた始まったのです。
これに立ち上がったのが、
住民の一人ジャン・シャステルという男。
聖母マリアの銀コインを溶かして作った弾丸で、
あっさりと野獣を仕留めてしまいました。
それで結局、正体は何だったのか?
今も残る謎
ベート騒動は、これで幕を引きます。
ベートははく製にされたらしいのですが、
それが今は紛失してしまい、正体は今も分かっていません。
ハイエナ、超巨大オオカミ、実は野犬の群れ、
など諸説入り乱れています。
さらに、シャステルが犬を仕込んで起こした、
マッチポンプではないかという説もあり、
オカルト話としても面白いので、興味のある方は調べてみてください。
ジェヴォーダンの獣が一頭だったとしたら、
被害が大きすぎる気もします。
昔の話には尾ひれがつく、と言ってしまえばそれまでですが。
次に紹介するイリエワニは、群れで人間を襲い、被害は現代も続いていると言います。
イリエワニ
東南アジアに生息するイリエワニは、
体長7m、記録では12mの個体もいたという、凶暴なワニで、
ほとんど恐竜と言っていいでしょう。
もちろん、イリエワニの獣害も多く、
数々の人食い事件をやらかしています。
船の沈没で
インドネシアのセレベス島(現・スラウェシ島)の川で、
1975年12月に、100人ほどが乗ったボートが沈みました。
川にはイリエワニの群れ。
嫌な予感しかしない展開です。
乗客の一人が、
イリエワニの餌食になったのを合図に、
血の饗宴(きょうえん)が始まったのは言うまでもありません。
逃げる乗客と襲うワニ。
川はすぐに血の色になり、
誰かを助ける余裕もなかったでしょう。
ワニに食われたのは42人。
1945年に沈没して、乗員がイタチザメに襲われた、インディアナポリス号事件とよく似た、
とんでもない獣害事件でした。
しかし、インディアナポリス号の悲劇と同じ年、
イリエワニといえば、さらに凄惨な事件がありました。
食われたのは400とも1000人とも言われてる、
日本人が犠牲となった事件です。
イリエワニが生息する沼地が、戦地の舞台となった話をしましょう。
何が起きてしまうかは、考えるに及ばないですよね。
ラムリー島の惨殺
ビルマ(現・ミャンマー)の、ラムリー島で起こった事件。
1944年、
無謀な行軍で大失敗を喫したインパール作戦で、
日本軍はイギリス軍に敗れ、インド進出を諦め、
さらにビルマでも、後退を余儀なくされていました。
一気に、ビルマ奪還に動くイギリス軍。
日本の軍事拠点だったラムリー島も、維持が難しくなり、
1945年には、上陸したイギリス軍と、日本軍1,000人ほどの守備隊が激突することに。
このラムリー島は現在も、
イリエワニがウジャウジャいる島なのです。
2月19日の夜。
日本軍がイギリス軍におびき寄せられ、
マングローブの沼地に足を踏み入れてしまったのです。
近くにいたイギリス兵たちは一晩中、おぞましい悲鳴を聞かされることになります。
暗闇の中、人食いワニの沼地にいる恐怖なんて、想像できますか?
翌朝、イギリス軍は生存者(日本兵)を、20人しか見つけられなかったそうです。
この事件は最大の獣害事件として、ギネスブックに記されています。
ただ、日本軍の記録にはこの事件は一切書かれていません。
ラムリー島からは、かなりの数の日本兵が脱出したという話もあり、
被害者数もはっきりしない上、これが事実かどうかも、今もって分かっていません。
これも戦時都市伝説のようなものかもしれないですね。
世を震撼させた獣害事件~まとめ~
紹介した3つの事件以外にも、獣害事件はもっとたくさんあります。
万物の霊長たるヒトが、あまりにも無力にやられてしまう恐怖――
この非情な現実を、少しは感じていただけたでしょうか?
愛玩動物だって、人を攻撃することはあります。
ペットを愛でることはいいことですが、僕は時々でも、
ペットの野生の部分というか、畜生面にも目を向けてほしいと思っています。
ちょっと残忍でも、動物の本質と受け止めて、
それらをひっくるめて、愛してあげてほしいですね。
おたくのワンちゃんネコちゃんも、
本能ではあなたを「美味しそう」と思ってるかもしれませんよ!
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