クマに襲われた!
そんなショッキングなニュースは、割と聞くのではないでしょうか?
山野の多い日本は、クマも多い。
当然、人とクマが遭遇しやすく、運悪く襲われることもあるわけです。
全体的にはツキノワグマが多いのですが、怖いのはやはり北海道のヒグマ。
ツキノワグマより大きく、凶暴で、
事件そのものは少なくても、そのインパクトは大きい。
ヒグマに襲われた事件のベスト3を、僕が選ぶなら、
三毛別ヒグマ事件、石狩沼田幌新事件……
そして、この記事で紹介する、
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件です。
この事件は、犠牲者数はそれほどではないものの、
ヒグマに執拗に追われるという点で、他の事件に比べ恐怖度は高い。
また、
「犠牲者がヒグマに無知な若者だったがために起こった」
という見方も出来、教訓も秘めています。
ヒグマとの向き合い方を考えさせる事件だったといえるでしょう。
目次
恐怖の登山!事件の経緯
1970年の7月12日。
福岡を出発した列車に、5人の若者が乗っていました。
・リーダー(20)
・サブリーダー(22)
・部員K(19)
・部員N(19)
・最年少の部員(18)
福岡大学の、
ワンダーフォーゲル(ワンゲル)同好会のメンバーです。
この事件では、
部と言われることがほとんどですが、当時はまだ同好会だったのです。
彼らが目指すのは、北の大地。
険峻な、北海道・日高山脈を縦走するのが目的です。
「この計画を成功させ、部への昇格の弾みにしようじゃないか!」
血気盛んな年頃。
モチベーションは高く、胸は弾んでいたと思います。
それが、恐怖の旅になることなど、彼らは知る由もありません……。
最初の遭遇
ワンゲル同好会の5人が、
スタートする麓の新得町に着いたのは、
7月14日。
登山計画書を提出し、その日の午後にはアタックを始めたようです。
20日間で、1.500m級の山々が連なる日高山脈を縦走する予定でした。
しかし25日。
標高1979mの、カムイエクウチカウシ山に差し掛かった頃には、
計画からずいぶん遅れており、
「この山を登頂したら途中だけれど戻ろう」
と考えていたのです。
ここで引き返していれば、悲劇は起きなかったでしょう。
カムイエクウチカウシ山は、クマも転げ落ちるという意味の険しい山。
「せめてこの山だけは」
完走を諦めた彼らにとって、その頂に立つことは、
部昇格を目指す同好会として、最低限の意地だったのかもしれません。
その日、九ノ沢カールと呼ばれる場所に、テントを張った一行。
明日には、頂上に行ける位置です。
夕方、そこに2mもあるヒグマ一頭が現れます。
「おっ、クマだ」
「さすがにヒグマは大きくて迫力あるな」
「でも可愛いじゃないか」
北海道に来る観光客が思うようなことを、
福岡大学の彼らも考えたらしいです。
しばらくして、ヒグマは慣れてきたのか、
外に出してあったリュックサックを漁り、
中の食料を食べ始めます。
食料を食われてしまっては困る。
彼らは、なんとか隙を見てリュックを取り戻し、
火やラジオの音で、ヒグマを追い払います。
これで一安心・・・
と思ったのでしょうが、これが最大の過ち。
ヒグマは一度手に入れたものは絶対に諦めないのです。
その夜、ヒグマは再びリュックを狙って戻ってきました。
襲撃!狙われたパーティー
夜の9時。
ヒグマがテントを襲撃します。
その時は、穴を開けられただけで済みましたが、
5人はもちろん恐怖で眠れません。
ヒグマの気配がずっと感じられる。
街灯もない山の暗闇……。
その漆黒の闇から、いつヒグマが現れるかもしれない。
そして翌26日、朝の4時、その恐怖が訪れました。
「ヒグマがテントを引っ張っている!」
慌てて逃げ出す5人。
リーダーの指示で、
サブリーダーと最年少部員が、助けを求めに行くことになります。
2人は下山途中、鳥取大学のグループや、北海道の大学のパーティーと遭遇。
「ヒグマが出たので下山する」
という北海道パーティーに、
「うちもヒグマに襲われている」と事情を説明し、救助要請を託し、
自分たちは仲間の元へ戻りました。
一方、現場に残っていた3人は、
また例のリュックを取り戻し、テントを張り直していました。
どうやら、彼らはこの時点でも、まだ登頂をするつもりだったらしいですね。
「このままでは危険だ。」
「少し下の八ノ沢カールで鳥取大がキャンプしている。」
「合流してはどうか」
そんな協議をしていた夕方、ヒグマが再び現れます。
「もう逃げるしかない」
5人は下山を開始。
しかし、ヒグマが所有したと思っているリュックは、以前彼らが持っていたのです。
パーティー分裂!最初の犠牲者が
夕方6時30分。
急ぐ5人。
この時、すぐ後ろにはヒグマが迫っていました。
最初に襲われたのは、最年少部員。
後の証言によると、
「ちくしょう!」と闇の中で、最年少部員の声がしたそうです。
仲間は無事なのか?
その安否が気になるも、彼らは無力。
次は自分かも・・・
の極限状態に、どんどん追い詰められてゆく。
近くには、鳥取大のキャンプがありました。
リーダー、サブリーダー、部員Nの3人は、大声で助けを求めます。
気づいた鳥取大パーティーは、
火を焚き、ホイッスルを慣らし、福岡大を援護します。
山を愛する者同士の連携ですね。
なんとか逃れた3人でしたが、部員Kがいない。
途中ではぐれてしまったのです。
岩場に登って、リーダー、サブ、Nは夜を明かすことに。
「最年少部員は生きているのか?」
「Kはどこに行ったんだ?」
「俺たちだっていつヒグマに襲われるか……」
3人は不安を募らせ、岩場で肩を寄せ合っていたことでしょう。
明けた27日の朝、事態はさらに悪化します。
山に深い霧が立ち込めたのです。
無残に殺された3人の犠牲者
視界が、ほとんど聞かない濃霧。
5m先を見るのがやっとという悪天候の中、
リーダーたち3人は、
はぐれたKと最年少を捜索。
すぐにでも山を下りたい気持ちは強くても、仲間を見捨てて逃げられない。
若い山男だった彼らには、
自分らだけで逃げるのが恥ずべきことだったのかもしれません。
しかし二人は見つからず、最悪なことに、霧中でヒグマに出会ってしまいます。
リーダーは自ら囮となってヒグマの注意を惹く。
リーダーとしての責任感なのか?
リーダーとして、
こんな事態になってしまった罪悪感なのか?
今では確認することもできません。
その隙に、サブとNが一目散に下山。
5合目の、砂防ダムの工事現場に辿り着いたのが、午後1時。
そこで車を手配してもらい、麓の駐在所に駆け込んだのが、午後6時。
この時代、スマホどころか、
固定電話すら、そこまで普及していなかったことを注釈しておきましょう。
救助隊が山に入ったのが、28日の朝。
翌日29日に2人の遺体が発見され、
同日に、見つかった件のヒグマは射殺。
さらに、30日に1人の遺体が発見されます。
もちろんリーダー、部員K、最年少部員です。
それは、あまりにもむごたらしい姿でした。
天候も悪かったので、持ち帰ることができず、
襲撃された八ノ沢カールで、火葬するしかないほどに……。
これが世にいう、
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件なのですが、
この事件が特殊なのは、はぐれた部員Kが、
逃走中、手記を綴っていたことです。
部員Kは、
メンバーとはぐれてから、どんな一夜を過ごしていたのでしょう。
恐怖の最中に綴られた部員の手記
Kの手記は、鳥取大のテントの中にありました。
手記によると、Kは最年少部員が襲われたとき、
地を這うように伸びるハイマツの影に隠れ、他の3人とはぐれたのだそうです。
下に鳥取大キャンプのたき火が見えたため、
匿ってもらうために移動。
しかし、ヒグマに追われ逃げ、
なんとか駆け込んだ、鳥取大のテントには誰もいない。
福岡大メンバーを助けるために、
ヒグマを火やホイッスルで牽制した後、鳥取大は避難していたのです。
この後からは、手記をそのまま引用しましょう。
……しかし、誰もいなかった。
しまった、
と思ったが、もう手遅れである。
シュラフがあったので、
すぐ一つを取り出し、中に入り込み大きな息を調整する。
しばらくすると、
なぜか安心感が出てきて落着いた。
それでもkazeの音や、草の音が、気になって眠れない。
鳥取大WV(注釈:ワンダーフォーゲル)が、無事報告して、
救助隊が来ることを祈って寝る。
27日4:00目が覚める。
外のことが、気になるが、
恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする。
テントの中を見まわすと、キャンパンがあったので、中を見ると御飯があった。
これで少しホッとする。
上の方は、ガスがかかっているので、
少し気持悪い。
もう5:20である。
また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。
ああ、早く博多に帰りたい
7:00沢を下ることにする。
にぎりめしをつくって、テントの中にあったシャツやクツ下をかりる。
テントを出て見ると、5m上にやはりクマがいた。
とても出られないので、このままテントの中にいる。
8:00頃まで……(判読不能)
しかし……(判読不能)を、通らない。
他のメンバーはもう下山したのか。
鳥取大WVは連絡してくれたのか。
いつ、助けに来るのか。
すべて、不安でおそろしい…。
またガスが濃くなって……
手記は、ここで終わっていました。
たった一人で、執拗なヒグマの恐怖に怯え、
救助が来ること、家に無事で戻ることを、一晩中期待していたことが窺えます。
「生きた心地がしない」
という表現が、適切かどうか僕にはわかりません。
決して、意匠を凝らした文章ではありませんが、
とつとつと、出来事や心境を綴っており、
余裕のない逼迫感が、生々しく伝わってくると思いませんか?
おそらく彼は、この後襲われたのでしょう。
悲惨な事件でした。
しかし、防げた事件であったことも事実です。
彼らの犠牲を、他山の石とするために、
僕らは、ヒグマについて知らねばならないことがあるのでしょう。
事件から読み解く背景と教訓
この事件には、多くの教訓が込められています。
若い部員たちは、
ワンゲル同好会を、部に昇進させるという目的もあり、気負っていました。
また、僕はワンダーフォーゲルにも、落とし穴があったと思っています。
ワンダーフォーゲルは、自然主義を理想とし、
アウトドア全般を行う、趣味系のスポーツ。
その考えは、
当時ベトナム戦争などで、反戦ムードが強く、
「ラブ&ピース。楽しく生きようよ」
みたいな、若者の間でとても流行していたのです。
流行すれば、経験のあまりない人も乗ってくるのは世の常。
現在の、高齢者の登山ブームと似ているかもしれない。
福岡大の5人にも、経験不足は感じられます。
ヒグマの知識を持とう!
ヒグマは、一度手にしたものを手放さない性格です。
クマの漁ったリュックなどは諦めるべきなのに、わざわざ取り戻しています。
登頂を捨てられなかった意地が、
リュックを奪還する無謀に繋がったのでしょう。
さらに、サブと最年少が、
北海道や鳥取のパーティーに救助を求め、
そのとき両者から、ヒグマに襲われている話を聞いていたはずなのに、
福岡大は、避難する判断をしませんでした。
この頑固さは、部昇格の気負いも理由でしょうが、
楽観的の誹りも免れません。
「あきらめないで~♪」
とよく歌われ、諦めるのは悪いことみたいな風潮ですが、時と場合ですよ。
ヒグマから逃げるときは、
背中を見せないのも基本です。
ヒグマを見据えて、後ろ向きにゆっくり後退するんです。
ハイマツの群生している場所であれば、
正にそこは、ヒグマのホームグラウンド。
人間の足で逃げ切れるものではありません。
火やラジオの音で、クマを撃退できるというのも誤りです。
ヒグマはそれらを怖がらず、一時しのぎでしかない。
ましてや、リュックに執着したクマに、効き目などないのです。
<とっても具体的!クマと遭遇してしまった場合の対処の仕方>
今より情報が乏しかったことはあるでしょうが、
北海道では昔から知られていることで、
やはり、ヒグマを甘く見ていたと思えます。
これは、現在の観光客にも言えることで、
猛獣ヒグマも、殆どは「クマさん」感覚。
「可愛い~」
とむやみに餌を与え、人間の食べ物の味を知ったヒグマが、
人里近くに現れる被害を、誘発する恐れがあるのです。
この、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、衝撃的であり、
いろいろな反省点も見えてきます。
昭和らしい事件ですが、もちろん令和や、
その先の時代にも知っておく出来事だと思います。
クマと人がどうあるべきか、考えるきっかけにしてほしいですね。
ヒグマを甘く見てはいけない!事件の経緯と原因~まとめ~
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、
テレビなどでもよく再現されるので、聞いたことのある人も多いでしょう。
事件の衝撃、逃走劇、リアルな手記の存在など、
ドラマにしやすいようです。
テレビになると、どうしても他人事、対岸の火事になりがちで、
この記事でも、真実に迫れた自信はないのですが、
ヒグマの恐怖を、少しでも感じていただければと願います。
ヒグマは愛嬌がありますが、
凶暴で、人間など簡単に殺せるパワーの持ち主。
人と住み分けられているのが平和なのです。
怖いという気持ちと、その生態をよく知ることが大事です。
勝手に餌をあげたり、キャンプなどで食料を置いてくるなど、
決してしないでください。
「人間は美味い食い物を持っている」
と知ったクマが、もっとも危険なんですから。
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