科学の発展に犠牲はつきもの。
中でも実験台になった動物の話は痛ましいですよね。
動物は事情なんてわからない。
人間のために命を落とすなんて、
とばっちりもいいとこですよ。
そんな動物で特に有名なのは『ライカ犬』でしょう。
ロシアのロケットで、宇宙に行った犬と知られています。
宇宙好きの僕も、子供の頃から知っていました。
でも改めて、ライカ犬って何?
と問われると「はてな?」となる。
ライカが、その犬の名前なのか?
犬種なのかもわからない。
地球の周りを回り続けて死んだのか?
打ち上げの失敗で死んだのかもはっきりしない。
ライカ犬という名前だけで、
他のことはチンプンカンプンの浅い知識。
宇宙開発に名を残したライカ犬。
その物語と、悲劇的な最期を詳しく解説しますよ。
目次
宇宙飛行士犬ライカの誕生
第二次世界大戦が終わり――
世界は、アメリカとソビエト連邦(現ロシア)がにらみ合う、冷戦時代となります。
互いにシノギを削る両国。
その争いが激しかったのが宇宙開発です。
なんたって、兵器にも転用できる技術ですからね。
来たるべき第三次世界大戦のためには、絶対負けられないレースでした。
最初に人間を宇宙に送ったのはソビエト。
「地球は青かった」
のユーリ・ガガーリンです。
このガガーリンの、最初の宇宙旅行の4年前。
青く、丸い地球を初めて見たのが、
この記事の主役ライカ犬です。
……いや、見たかどうかはわからないんですが。
それは後にして、なぜライカ犬が初の宇宙飛行犬になったのか?
それは「選ばれた」わけではないようです。
ライカは名前?犬種?
その前に、「ライカ:Лайка」の名前について解説しましょう。
実は、ロシアでは犬全般を「ライカ」と呼びます。
犬はロシア語で「ソバカ:собака」なので、
ライカは「ワンちゃん」とか「ワンころ」みたいなニュアンス。
シベリアンハスキーを「ヤクート・ライカ」。
サモエドを「サモエド・ライカ」なんて呼ぶそうです。
ライカ犬という犬種はいません。
一部のマスコミが、
この犬の名を「クドリャフカ」と伝えたため、
「ライカ犬という犬種の、クドリャフカと名付けられた犬」
と思っている人もいるかもしれません。
「クドリャフカ」は、
ロシア語で「巻き毛」の意。
その犬の尻尾がクルンって巻いてたから、
「クルリン尻尾ちゃん」ってわけですね。
今さらですが、ライカはメスなんですよ。
ロシアは後に、
「名前はライカ」と発表していますが、
犬種がなんだったのかはわかっていません。
種類不明で、
名前が「ライカ」で、特徴が「クドリャフカ」
ってことです。
それにしても、
犬に「イヌ」と名付けるなんて適当だと思いませんか?
歴史に残る犬に、この適当さはどうなのよ。
それは、ライカがただの野良犬だったからなのです。
野良犬が宇宙飛行士に転職
加熱するアメリカとの宇宙開発競争。
目指すは、
「人間の宇宙旅行」――つまり「有人飛行」です。
しかし、いくら社会主義のソビエトでも、
いきなり人間を飛ばすわけにはいかない。
無重力、機体の加速、宇宙線などが、
動物の体にどんな影響を及ぼすかわからないからです。
その前に実験台が必要でした。
目をつけたのが犬。
この頃、アメリカは、猿を使った実験を計画中でしたが、
犬のほうが安上がりでしつけやすいのが理由。
いかにもロシアらしい理由だね。
それも、ソビエトの威信を演出するため、
ソビエト産の犬種にこだわります。
そこで、
モスクワをうろつく3匹の野良犬を捕獲。
「ムシューカ」「アルビーナ」「ライカ」
と名付けます。
ゴミを漁っていた3匹の野良犬に、突然与えられた重い責任。
待っていたのは、厳しい訓練と悲劇でした。
過酷な訓練・非情な計画
犬たちは狭いケージに押し込まれました。
初期の宇宙船に、快適な空間なんてありません。
犬一匹でもギリギリ。
狭さに慣れてもらうしかない。
ろくに動けない状態に、犬は食欲不振や便秘になったそうです。
そりゃ誰だってなりますよね。
出来がよかったのはアルビーナ(♀)。
彼女を乗せたロケットを、衛星軌道の途中まで打ち上げ、
無事に帰還させる実験は成功しました。
「これならイケる!」
1957年10月4日。
ソビエトは、
初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げて、
世界中をびっくりさせます。
アルビーナの実験が役立ったわけです。
先を越されたアメリカの発狂を「ムフフ」と見ながら、ソビエトの次なる目標。
宇宙旅行!
有人飛行のために、まずは犬を宇宙まで飛ばすことです。
しかし、アルビーナはこの時、出産したばかりで無理。
1号の発射から1ヶ月後の、
スプートニク2号の乗員に抜擢されたのがライカでした。
宇宙に行く、初の動物という名誉。
いいえ、それは悲劇の片道切符だったのです。
ライカは最初から死ぬ予定だった!
当初、スプートニク2号は宇宙へ出て、
その後帰還する予定でした。
ソビエトには、それができる技術はあった。
本来、ライカは英雄犬として生きて地球に戻れたのです。
ところが、
当時の指導者フルシチョフは冷酷な計画を立てます。
「ロシア革命から40年の記念に、スプートニクを華々しく宇宙で爆破させよう」
ライバルのアメリカへの当てつけもあったんでしょう。
ライカを乗せた人工衛星を、お祝いの花火にしようというのです。
社会主義国で、指導者の命令は絶対。
科学者たちは従うしかありません。
結果、スプートニク2号は行きだけの片道切符に。
帰還時の大気圏突入に耐えられないものになったのです。
ここで、ライカの死は確実になりました。
ライカの最期
打ち上げ前。
科学者たちは、ライカと平和な時間を過ごします。
元は野良犬とはいえ、
ライカは厳しい訓練を乗り越えた立派なパイロットであり、宇宙開発の仲間。
戻れない旅に送り出す科学者だって、胸は痛い。
ライカが乗りこむときは、全員がその鼻にキスをして「よい旅を」と言ったそうです。
その心を、ライカは感じることができたんでしょうか……。
計画はこうです――
・大気圏を抜けて宇宙に行く。
・自動給餌器で毒入りの餌が与えられ、
ライカを安楽死させる。
・スプートニク2号は地球を周回し、
大気圏突入で爆発する。
もっともこれは、ライカの死後に、
世界中で起こった「残酷だ!」のデモを受けて、ソビエトが発表したもの。
「機内には10日分の酸素しかなく、酸欠で死なせたのでは」
との疑いもあった。
事実は不明です。
この頃のソビエトは「鉄のカーテン」と呼ばれ、情報の透明性がない国でした。
1980年代の民主改革「ペレストロイカ」と、
情報公開「グラスノスチ」でやっと緩くなったんです。
それで出てきた、ライカについての新しい証言。
悲劇の真相は、もっと悲しいものだったかもしれません。
ライカは宇宙を見ていない?
「ライカは発射の数時間後に死亡していた」
2006年に、計画の関係者が口を開きました。
これはデータからの推測らしい。
順を追うと、
・スプートニク2号の断熱材が一部損傷。
・機内の温度が上がる。
・ライカの脈拍も異常を示す。
・5~7時間後、生命反応が途絶えた。
このことからライカは、
安楽死でも酸欠でもなく、
打ち上げ時のストレスと高温により、苦悶の死を遂げたと考えられるのです。
当時の写真と映像を見たい方は、下にある動画もどうぞ。
動画がよく作られてるだけに、愛犬家には辛いかも。
僕はずっと、
「ライカはしばらく宇宙を眺めて静かに死んだ」
と思っていました。
でも、これだと星なんか見てもいないでしょう。
熱さと、激しい動悸で、ほとんど失神状態からの死亡と思う。
宇宙でなにがあったか、事実は誰にもわかりません。
スプートニク2号は、そのまま162日、2570回も地球を回り続けます。
1958年4月14日。
美しい光の線が空に走りました。
それは、
悲劇の犬ライカを乗せたスプートニク2号が、
大気圏で燃え尽きたものだったのです。
犠牲か英雄か?ライカの悲劇~まとめ~
名もない野良犬から、科学史に刻まれたライカ。
その後の宇宙旅行を切り拓きました。
ただ「犬」という意味の名前をつけられた扱い。
つらい訓練と、悲惨な最期。
偉大な功績とは裏腹に、決して幸せだったとは言えないでしょう。
ライカの死を想像すると、とても切なくなりますよね。
「お星さまになった」
というのに、ふさわしい死に方かもしれません。
その魂が、
モスクワの街でしていたように、
広い宇宙を自由に駆けていることを祈りたいものです。